満ちあふれるマングローブの夜明け 2021/2/10


--大潮で日の出頃に満潮を迎える朝。潮が満ちたマングローブの夜明けが撮りたくて、朝4時前に家を出た。現地に到着したのは午前5時前。辺りはまだ真っ暗で空には星が輝いている。気分は高まるが不安も少し。暗い中、水に浸ったマングローブの森に足を踏み入れるのは、やはり勇気がいる。でも星が出ているのに明るくなるのをただ待つなんてもったいない。カメラバッグと三脚を担ぎ、雨靴を履いてライトのスイッチを入れた。慎重に周囲を照らしながらマングローブの森を抜ける。もうすぐ満潮を迎える時間帯、ようやく森の中へと水が入ってくるところだった。深すぎたらどうしようと思っていたが、これなら雨靴でも大丈夫そうだ。一つホッとした。

--森を抜けきると少しは何か見えるかと思ったが、月の無い夜、真っ暗でホント何も見えない。仕方なくライトで照らしながら写真を撮る場所を探す。いい感じの幼木があって、そこでしばらく星の写真を撮った。潮が満ちていき、森の中にも水が行き渡ったのだろう。暗い森から時おりバシャンと魚の跳ねる音が聞こえてくる。いるはずもないワニを想像し、少し怖くなった。ライトで周りを照らしてみたりもした。だけど本当に怖いのはワニなんかじゃなかった。静かに着々と忍び寄る恐怖に、その時の僕はまだ一ミリも気付いてなかった。

--不意に「なんだか冷たいな」と思った。思った時にはもう遅かった。ライトで足元を照らしてみる。すると雨靴の縁ギリギリの高さまで水面が上がってきていた。思わずつま先立ちになる。だが間に合わなかった。ツーッと冷たい感触がふくらはぎを伝って足の裏へと広がっていく。その後は早かった。森へ戻ろうと急いだが、無駄なあがきだった。満ち潮のひと伸びの方が、僕の足より遙かに速かった。波ひとつ無いフラットな海面は、無表情だけど容赦がなかった。とめどなく流れ込んでくる水とともに、雨靴は一気に水の中へと沈んでいった。

--正直「もう帰ろう」と思った。時間を見ると午前6時。日の出までまだ一時間もある。バッチリ防寒して、靴下も二枚重ねしてきたのに、今や二倍に水を吸収してタプタプだ。冷たい。そして寒い。さっきまで満天の星だった空も、南東から広がってきた雲に覆われてしまっていた。急に暗さが増した気がした。呆然と立ちすくむ。この状態で一時間、出るか出ないかわからない朝日を待つのは辛い。今帰れば朝の通勤ラッシュにも巻き込まれないし、何よりとにかく早く水から抜け出したい。朝日はまた改めて撮りにくればいいんだよ。チャンスなんて何度でもある。損得勘定が脳内を駆け巡り、チーンと計算が成り立った気がした。よし帰ろう!と決め、三脚からカメラを外そうとした時、水平線に向いていたミラーレス一眼レフの液晶画面に、日の出前のマジックアワーが映っていた。僕の目にはまだ真っ暗なんだけど、カメラは微細な光に反応して、夜明けの始まりを告げている。思わずカメラを握る。構図を整えシャッターを押した。いい。さっきまで暗かった水面にも朝の光がにじみ始め、メヒルギのシルエットが浮かび上がってきている。帰ろうと思ったことは、もう忘れていた。

--目覚め始めた朝に向けてシャッターを切りながら、雨靴が濡れていることは逆に強みにすら思えてきた。満潮を迎えたマングローブは、想像以上に深かった。けれど今や既に濡れている。しかも中途半端な濡れじゃない。ズブズブのチャプチャプだ。濡れる怖さは取り払われたわけだから、深さなんか気にせずに歩き回れる。しかもだ。日の出までまだ一時間もある。たっぷり時間をかけて歩けば、ヒルギの幼木の配置や、朝日の出る位置までも、好きなように決められる。こうなったら最高のロケーションで撮ろうじゃないか。気持ちをシフトチェンジしても寒さに何ら変わりはないけれど、心は幾分軽くなった。でもこんな時こそ転ばないように、足取りは慎重に。ズボンより下以外と機材は守りつつ、マングローブの水中を歩く。最後は太ももまで水に浸かったけれど、思い焦がれていた水面に映るマングローブの朝日にめぐり逢えた。それも想像以上の光景だった。夜明け前に広がった雲と水平線との間には隙間があり、そこに顔を出した太陽。不安材料だったはずの雲は朝焼けに染まり、夜明けの空に彩りを加えてくれた。マイナス要素がプラスに変わる熱い経験だったけれど、やっぱり寒くて体は震えていた。でも車に戻ってからもフツフツとわき上がるように心が震えていたのは、きっと寒さのせいじゃない。


このページは、奄美の写真家「別府亮」の撮影日記的な奄美の記録→『奄美/365』の1ページです。
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